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2022/11/25

校長室から(11月)

| by 北海道札幌聾学校WEB管理者
「若気の至り」
  
 「挨拶は相手や場面に応じて使い分けることが大事です。会釈の時の背中の角度は、、、」中学部の進路講話での一幕です。講師からは、社会が求める人材とは、ビジネスマナーが身についている人であり、社会に出る前に身に付けたいことの一つに、”挨拶がしっかりとできる”ことだと教えられました。
 挨拶に関して、私には忘れられない出来事があります。私は大学を卒業した後、2年間ほど実家のある岡山県の山間部の小学校で臨時教員として働いていました。ある日、母親から「あんた、挨拶しないって近所の人から聞いたよ」と小言を言われました。その時は「運転中に挨拶なんて、危なくてできん!」と言い返したのですが、ある朝、勤務先の小学校の校長先生からも「四木さん、ちゃんと挨拶をしないとだめだよ!」と言われたのです。私は全く気に留めていなかったのですが、毎朝、車で出勤する途中、実家の近所の方や学校の校区に住んでいる方とすれ違っていたのです。
 脳天に雷が直撃したような衝撃を受け、鼓動が明らかに早いのを自認しながら、校長先生には「運転中ですし、、、」と言い訳をしました。校長先生曰く「臨時の先生でも、地域の方は先生のことを知っているんだよ。すれ違う車には地域の方が乗っていると思って、校区に入ったら挨拶をした方がいいですよ。」と教えられました。この話を聞いても、「誰が地域の人か分からん、、、全ての車に向かって頭を下げろって?」とか「校長先生は地域の方の顔が分かるからできるんじゃ」と納得できずにいました。
 モヤモヤした気持ちはなかなか消えなかったのですが、いつまでも子どもみたいな態度を取るのも嫌だったので、すれ違う人や車に頭を下げるようにしました。それでも内心「やっぱり危ないよな、、、」とか「誰だか分からないんだけど、、、」という気持ちがあったので、軽く頭を下げる程度にしました。
 しばらく経ったある日、「四木先生、挨拶してるんだってね!」と校長先生から声を掛けられました。内心「校長先生はなぜ知っているんだろう?」と驚きを感じましたが、褒めていただいたことは素直に受け止めました。その後も、半ば義務的に挨拶をしていましたが、そのうち対向車の運転手も頭を下げてくれるようになりました。その時やっと引っかかっていたものが取れ、自分も地域の一員になったような気がしたのを覚えています。
 それから三十数年経ち、今では毎朝校門に立ち、登校してくる本校の子どもや教職員、地域の学校に通う子どもや通勤の方々に挨拶をするのが朝の日課となりました。
 挨拶は、人に会ったり別れたりするときに、儀礼的に取り交わす言葉や動作ですが、人間関係を円滑にするといった社会生活上、大切な役割もあります。朝の挨拶、「おはようございます」の由来は歌舞伎とされています。歌舞伎役者が公演が始まるずっと前から到着して準備をしていることに対し、裏方や下っ端の方がねぎらいの意味を込めて使った「お早いお着きでございます」という言葉が変化して今の形になったそうです。さらに”お互いに今日も頑張りましょう!”というエールの意も込められているように思います。
 挨拶を行うことの意味を改めて考えて、母親や校長先生に食ってかかったことを若気の至りと恥ずかしく思うとともに、皆が気持ちよく1日をスタートできるように、朝の挨拶を続けようと思いました。

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