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2023/05/29

校長室から(5月)

| by 北海道札幌聾学校WEB管理者
「技を身に付けること」

 いつも私の話で恐縮なのですが、今回は私が小学5年生の時の話をします。私が通っていた小学校は、全校児童50名弱の小さな学校でした。2学年複式で、5年生と6年生は同じ教科書を使って学習していました(A・B年度方式と言うそうです)。ある日、図工の学習で風景の写生があり、私は水彩絵の具を水で薄めて木々の色を塗っていました。ふと、近くにいた6年生の女子を見ると、絵の具をチューブから出してそのまま塗っているではないですか。「え!絵の具って薄めずに塗ってもいいの?!」と、それまでの自分の絵の具に関する概念が一瞬で打ち砕かれました。と同時に、彼女が描いた絵の美しさに魅了され、その技法を真似てみたくなりました。真似することに対する周囲の視線は気になったのですが、やりたい欲求には勝てず、描いてみた結果、満足感や達成感を感じたことを覚えています。
  さて、その経験が今の生き方に影響を与えているかというと、「凄い!」「かっこいい!」と思った人の技は、「真似したい」「身に付けたい」と思い、じっくりと観察するようになったことでしょうか。スキーもゴルフもランニングも、ほぼこのパターンで技術を習得してきたように思います。基本的に独学で、誰かに教えを請うことはほとんどないので、客観的な評価が不足していて、しょっちゅう行き詰まってしまいます。それでも自分と練習を信じてがむしゃらにやってきましたが、ここ最近、体力とセンサーの衰えを実感し、「身の程知らず」ということも覚えたため、今は”自分なりに楽しむ”ことを意識するようにしています(ですが、未だ向上心を捨てた訳ではありません)。
  ここ最近、「学び」という言葉をよく耳(目)にします。子どもたちに関しては、「主体的・対話的で深い学び」、「探求的な学び」、「個別最適な学び」、「協働的な学び」などですし、教職員に関しても「新たな教師の学びの姿」といった具合にです。「学び」という言葉は、「学ぶこと。学問。」という意味で、「学ぶ」は「まねてする。ならって行う。」という意味です(広辞苑)。ちなみに「学ぶ」の語源は、一説によると「真似ぶ」だと言われています。つまり「学び」も「学ぶ」も、それまで自分が持ち得なかった知識や技などを獲得するために、学習者が主体となって、手本となる人の行いや対象となる物を真似て、取り込み、自分のものとして定着させていく過程を指すということです。
  古くから、職人が技術を習得する際は、徒弟制の下、師の技を「見て習え」とか「盗め」とか言われてきました。「石の上にも三年」と言われるように、技の修得には長い時間がかかるのです。しかし今は、職人の社会でも世代交代が急速に進んでおり、そんな悠長なことを言っていると技が途絶えてしまいますし、効率も良くありません。かといって手取り足取りや、詰め込みで教えられても、真に使える技として身に付かなければ意味がありません。ここでも師との対話を通した双方向の学び、つまり「主体的・対話的で深い学び」や「探求的な学び」で、学びの効率性や質を高めることが良いのかもしれません。
  先の私の例だと、6年生の女子に絵の具の使い方を尋ね、描いてみて、共に評価し、表現方法を修正するというサイクルを繰り返すことで、確実に技を修得していったならば、今頃は絵をさらさらっと描けるようになっていたのかもしれません(私は絵が全く描けません、、、そのことはまたの機会に)。


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